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河東碧梧桐書『日新館銘』 河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう) 1873-1937 中学時代から正岡子規に師事した俳人で、絵画的作風、印象明瞭の個性を持ち味に「俳句改革運動」に加わる。子規没後、『日本俳壇』を主宰。定型にとらわれず、自然主義に接近した「無中心論」を提唱し、子規門下の双璧であった高浜虚子と対立。晩年は書家としても名を馳せ、1921年(大正10)の来草時に当館の銘を揮毫された。 |
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福島安正書『秋光鮮』 福島安正(ふくしま・やすまさ) 1852-1919 信州松本生まれ。明治期の陸軍を代表する情報将校。語学力を買われて陸軍省に入り、参謀本部勤務と外国派遣を繰り返す。1892年(明治25)-93年、任地のベルリンから帰国するにあたり、シベリアを騎馬で単独横断して有名となった。日露戦争後男爵となり、1914年(大正3)に大将に進級した。 |
| 相馬御風書『草津小唄』 相馬御風(そうま・ぎょふう) 1883-1950 新潟県生まれ。早稲田大学を拠点に自然主義文学の論陣を張り、『黎明期の文学』などを著す一方、三木露風らと共に口語詩推進の中心として活躍した。「都の西北」で始まる早稲田大学校歌の作詞者としても有名。1928年に作曲家・中山晋平と共に草津を訪れ、当地で今も歌い継がれる『草津小唄』を合作(御風作詞、晋平作曲)した。 |
| 竹久夢二書『山間思人』 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ) 1884-1934 岡山県生まれ。藤島武二、鏑木清方らの影響を受け、目に哀愁をたたえた「夢二調美人画」を確立。感性豊かな叙情的表現は、絵はがき・封筒などのデザインにも用いられ、幅広い層に愛された。名曲『宵待草』などを作詞するなど詩人としての評価も高く、詩画・詩歌集などの著作物は50を超える。 |
| 尾崎咢堂書『学遜志』 尾崎咢堂(おざき・がくどう、本名行雄) 1858-1954 神奈川県生まれ。1890年(明治23)の第1回総選挙から連続25回の当選を果たし、文相、法相などを歴任。大正時代に犬養毅らと共に憲政擁護運動を指揮し、「憲政の神様」と称される。1939年(昭和14)以降は党に属さず、軍部の台頭、全体主義傾向への批判を展開した。 |
| 徳富蘇峰書『四時信興與人同』 徳富蘇峰(とくとみ・そほう) 1863-1957 熊本県生まれ。民友社を設立し、『国民之友』、『国民新聞』で進歩的平民主義の論者として活躍したが日清戦争前後から国権主義に方向転換し、山県・桂内閣のブレーンとして活躍。また第二次大戦中は大日本言論報告会会長を務めたが、戦後公職追放に。弟は小説家の徳富蘆花。 |
| 中村不折書『青山白雲』 中村不折(なかむら・ふせつ) 1866-1943 江戸生まれ。洋画を志してフランスに留学し、ジャン=ポール=ローランスに師事。帰国後は太平洋画会の代表作家として活躍。代表作に『春の渡し』がある。また六朝書道もよくし、生家(東京都台東区根岸)を書道博物館として収集した中国の書跡、石碑などを展示開放した。 |
| 比田井天来書『百家春』 比田井天来(ひだい・てんらい) 1872-1939 長野県望月町(現佐久市)生まれ。早くから上京し漢学を学ぶが、やがて日下部鳴鶴の門に入り書道を学ぶ。古碑や法帖への造詣が深く、独学のために鎌倉建長寺の正統庵に独居。剛毛筆を使用した『天来書道』と呼ばれる斬新な書風を確立し、1912年(1937)書道界から初の帝国芸術院会員となった。 ※出身地の長野県佐久市(旧望月町)には、市立の『天来記念館』があり、お孫さんの比田井和子様が館長を務められています。このたびメールにてご連絡を頂きましたので、ご紹介させて頂きます。ありがとうございました。 ホームページ『天来書院』 http://www.shodo.co.jp/tenrai/ |
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〒377-1711 群馬県吾妻郡草津町草津温泉368番地 電話 0279-88-2013 FAX 0279-88-2307 mailto:yumoto@nisshinkan.com |